宮本武蔵

宮本武蔵は、江戸時代初期の剣豪です。

武蔵の生涯については、現存する資料等から明らかになっていない部分も多く、その生涯については諸説あります。武蔵の前半生については特に不明確で、出自については、天正10年又は12年(1582年又は1584年)、播磨(兵庫県)宮本村か美作(岡山県)吉野郡宮本村のいずれかで出生したと言われており、また、その両親についても、父は平田武仁(新免無二斎)と言われていますが、母は新免宗貞の娘於政か別所林治の娘率子のいずれかという説があります。
武蔵は、幼少のころから兵法の道を歩み、13歳の時にはじめて新当流の有馬喜兵衛と勝負して勝ち、以後六十数回の勝負に一度も負けなかったと伝えられています。特に、慶長17年(1612年)における舟島(下関市巌流島)での佐々木巌流(小次郎)との勝負は「巌流島の決闘」として有名です。
武蔵は、57歳の時に肥後熊本藩主細川忠利の客分として熊本千葉城址に住み、このとき「兵法三十五箇条」を、また、その後60歳で熊本市近郊の金峰山にある霊巌洞に籠もり「五輪書」をそれぞれ執筆し、武蔵が創始した二刀兵法「二天一流」の太刀筋や体さばき、あるいはその理念や心得をまとめたほか、自戒を込めて自身の生き方を「獨行道」に記しました。
また、武蔵は、剣術のほかにも書画等の非凡な才能を有し、「鵜図」「芦雁図」「枯木鳴鵙図」等の有名な作品が現代に伝えられています。
武蔵は、五輪書等の執筆からわずか1週間後の正保2年(1645年)、肥後(熊本県)でその生涯を終え、熊本市竜田町弓削の武蔵塚がその墓と伝えられています。

 

 


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